今の王家と、近代以前の王家では、位置づけも重みも違うが、王家に連なる人に対しては「寛容」だが、そうでない人に対しては「厳格」になる。これは、王家と言わず、庶民の一般家庭においても言えることだろう。これが、より世間の衆目を集める王家ならなおのことである。
それが王太子と王太子妃の場合となると、どうなるだろうか。王と王妃であれば、もう「なってしまったのだから仕方がない」的な空気も流れるが、その前段階である王太子と王太子妃の場合では、「まだやり直しがきく」というのが一般的な考えだろう。王を廃することよりも王太子を廃する方が例は多いし、さらに王妃を廃するのが多く、王太子妃はさらにそれよりも多い。王太子妃の地位の危うさは、自身が問題がなかったとしても、王太子が廃されれば結果として王太子妃でなくなるということもある。何にしても、その地位は王や王太子、そして王妃よりも不安定なものである。
このため、今王の次世代となる王太子が暗愚だった場合、同じ血族の兄弟(姉妹)や王の兄弟(姉妹)がなかったならば、これはもう暗愚な王を迎えるのはやむを得ないという判断も働くが、王太子妃が暗愚であったとすれば、将来に暗愚な王妃を迎えるよりはそれを交代させた方がいいという判断が強く働くだろう。
これは、いい悪いは別にして、外から迎えた者は交換可能だという安易な考えが底流にある。この考えは近代以前のものでなく、現代にも通ずるどころか、近代以前から続く王家にとっては、それは今でも有効な考え方に他ならない。自身はそうでなくとも、周りはそう考えるからである。
王家には、果たす務めがある。近代以降の王家は国民に対して、近代以前の王家は領主(貴族)に対して、と対象や内容は異なるが、果たす勤めがあることに変わりはない。この務めを果たすことができない暗愚な王族は、その地位に甘んじていいものだろうか。その地位とは血族である。王、王太子、王妃、王太子妃という序列はまさにこの順位である。
すべてが英明な王族であれば苦労はしないが、現実はそうではない。それは歴史が示すところである。英明でない王族は、害悪でしかないというのもまた歴史の示すところだ。務めを果たすことができないとなれば、自ら身を引く。幸いにして、近代以前よりも現代はそれを行いやすい環境にある(単に暗殺が減っただけということもあるが)。
歴史は過去のものではなく現在まで、いや未来まで流れるものである。そして、歴史は繰り返すともいう。これから私たちはどんな歴史の立会人となっていくのか。それは、歴史を知る者だけが知るのだろう。
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