犯罪を自らが犯さずとも、幇助の罪に問われる。それはプログラム開発においても同様だ。そういう判決が、いわゆるWinny裁判で判断が示された。おそらく、20年程前にはこういう判決はありえなかっただろうが、著作権法が拡大適用されている今日、またネットワーク社会の増殖拡大の只中にあれば、このような判断が出るのもやむなしだろう。時代は止まっているのではなく、いつも動いているからだ。
私も開発者の末席を汚していたものとして、このような判決が出たことそのものは驚きはするが、それでプログラム開発が萎縮するかと問われればそうはならない。主張すべきことを主張し、それが受け容れられなかったという結果を厳粛に受け止めるしかないと、判決を受けたものに対して言葉を投げかけるだけである。ただ、自分がそういう立場になってしまったなら、同じことを言えるかといえばそうではない。
要は程度問題なのだ。例えば、Windowsに標準で採用されているExplorerを考えてみよう。Explorerは、ファイルをコピーすることができ、ネットワークドライブを経由すれば、ファイル交換も可能である。だが、この開発者(社)に対し、著作権法違反幇助の適用ができるかといえば、訴えること自体は可能だが、現実にこれを今回のWinnyの件のような判断をさせるには、裁判所側が相当にアレな場合以外、訴えは退けられるだろう。理由は、あまりに一般化している技術だからにほかならない。また、著作権者(集団)との話し合いもしっかり行われているというのもある。
Winnyにしても、プログラムそのものは各種ライブラリやOSのサービスを利用するなど、まったく一から開発(フルスクラッチ)されたコードではなく、またコード自体もコンパイラでコンパイルされ、アセンブリコードとなり、それがさらにマシン語(x86)に変換され、それがプロセッサ内でμOPsに分解され、実行される。実行された命令は、様々なハードウェアを動かし、それらが結果としてWinnyの動作となる。どのレベルで、どのレベルからが著作権違反幇助となったのか。ソースコードレベルのみで判断するか、それを実行コードとして実現できるハードウェアまでなのか。そんなこと、裁判官にはほとんど意味不明・無関係に違いない。使われ方という表層的な判断で、それも立場によって揺れ動く主観的ないかにも文系臭の強いもので幇助とされては、技術者として反論したくなるのも当然ではあろう。
だが、土俵は文系臭の強い裁判所で行われている。そこで正論を発したところで、それが意味があるかは考えるまでもない。そう思えて仕方がない…というのが正直な気持ちだ。
やはり、使用者のモラルの問題ということになるのではないでしょうか?
ピッキングツールを持って歩いていると処罰の対象ですが、制作者までは及ばないはずですし・・・。
それより、あれだけ流出騒動が起きていてもまだ使い続けられる人たちが理解できません。
もっとも自分がその手のことに興味がないだけなのでしょうけど・・・。
制作者だけが処罰されるのはいかがなものか?です。
投稿情報: 志葉 京兵 | 2006/12/14 08:01