我が国の政治は、というよりも我が国の特性として「水に流す」というものがあり、昔のことは忘れよう的な発想があるのは、過去20年ほどの国政選挙を概観すればいちいち例を挙げるまでもないが、小選挙区制になって以降はそれが目に見える形で表れるようになっている。そんなわけで、政治屋が繰り広げる「活動」はこの際無視する(理由は朝令暮改であり、かつ有権者に迎合する性質があるため←やむを得ないので悪いとは思わない)として、最近、鳩山首相が勝手に盛り上げているようにしか見えない普天間基地移設問題について、私なりに思うところを述べてみる。
まず、大前提として、当blogで地域歴史研究でもふれているように、歴史というものは見る者、立場によって異なるものである。「いつ何が起こった」というような確定的なものであっても、解釈の違いであるとか、意図的に取り上げないとか、様々な理由で「認識」が一致するなどあり得ない(例えば1945年の太平洋戦争終結は、立場によって「敗戦」「終戦」「勝利」など異なる)。つまり、よく言われる「歴史認識」を合わせるなどということは、最低でもどちらか一方が妥協しない(一方の主張を受容れない)限りあり得ないということをおさえておく必要がある。問題は、歴史認識を合わせるのではなく、相手側がどういう歴史認識を持っているのかを理解することが重要だといえよう。さらにいえば、普天間基地移設問題においては、東京に職住を持つ私と沖縄県宜野湾市の方とでは、言うまでもなく「歴史認識」のみならず、「現実としての認識」も異なっているだろうし、同じ宜野湾市の方であっても立場によって様々だろう。
ということを確認しつつ、まずは1945年(昭和20年)に米軍が撮影した航空写真から確認してみよう。この写真はよく知られているように、旧日本軍が急拵えした飛行場が見える。そして、飛行場周辺にはのどかな田園風景が広がっている。
そして、最近はどうかと言えば、この写真。普天間飛行場周辺に住宅群が迫り、経緯を知らない方にとっては「どうしてこうなった!?」というものだろう。もちろん、どうしてという理由もこうなったという理由もあるはずだが、これは立場によって「認識」が異なるのは言うまでもない。
また、この新旧二つの写真を並べて、基地周辺にあとから引っ越してきて、それで文句をたれているずうずうしい奴らがいるという批判をする輩もある(実際はゼロではないとは思うが)。たが、これとて元をただせば、この飛行場はいつ、どういう経緯でできたものなのか。太平洋戦争末期の旧日本軍による強制収用の結果であると知れば、話はそう単純ではないことにも気付くだろう。つまり、好きで土地を提供したわけではないのである。
こういった話は沖縄県に限らず、我が国の多くの地域に見ることができる。例えば、羽田空港。今では沖合移転して海老取川より東側すぐの滑走路ではなくなったが、かつては海老取川西側の羽田地域の住宅と近接していた(場所をゼンリンの電子地図で示すとここ)。
それどころか、この滑走路付近にも住宅や商店が建ち並んでおり、穴守稲荷神社も当地にあったのだ。しかし、1945年(昭和20年)9月、48時間以内に立ち退くよう米軍からの指令を受け、強制的に立ち退かされた。このほかにも戦後間もない頃は、似たような話は各地で見ることができる。ただ、沖縄の場合は本土復帰までの期間がかかってしまったことで、積み重ねられた年月は本土の比ではない。時間が経過すれば、そう単純な話とはならないのも自明だろう。
普天間基地移設問題は、何も急に降って湧いた話ではなく沖縄本土復帰、いやそれより以前からあったもので、それが昨年の民主党政権奪取以降から沸騰している(ように見える)。これに首相の迷走ぶりが拍車をかけているという流れである。ただ、仮に首相が責任を取って辞任するとしても決着するような内容でないことも確かである。要はそう単純な話ではなく、いきなり決着を付けるよう(決着がつくよう)な話ではないのだ。
なので、焦点をしぼって「そもそも普天間飛行場周辺に住宅が密集している」ことを問題視している意見に対し、以下のような意見を提示する。先に二つの航空写真を示したが、1945年(昭和20年)から現在を比較すれば、このような意見が出てくるのはもっとものことだと思う。しかし、1945年(昭和20年)8月以前の旧日本軍が飛行場建設のために民有地を強制収用する以前と比較したらどうなるだろう。もっといえば、薩摩藩(島津軍)に琉球王国が征服される前と比較したらどうなのか。つまり、遡及点をどこに置くかによって、このような見解はいくらでも変わってくるものである。
視点を世界に広げれば、やはりパレスチナ問題を取り上げねばならないだろう。イスラエルの建国は第二次世界大戦以後に建国されたが、あの場所に建国したのは約2700年前に滅んだイスラエル王国(北王国)があったからというもので、「水に流す」ことを当たり前に思うような我が国の人々にとっては受容れがたい話だろう。これは極端な例だが、似たような話は世界にいくらでもある。それに比べれば、普天間飛行場の歴史的経緯を未来に向けて慮ることは悪いことではないはずで、この地元の歴史の上に、軍事的側面であるとか、経済的な話であるとか、あるいはその他の話を載せていくべきだと考える。我が国の問題である以上に、これは地元の問題であるのだから。
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