前回に引き続き、池上電鉄開業90周年記念を前に池上本門寺及びその周辺で気付いたものを採り上げていく第二弾は、これは外すことはできないだろうと思う「力道山の墓所」である。池上本門寺には多くの墓所があるが、寺内に多数の案内板が出ているのはこの方くらいなものである。
この看板は、墓所に最も近いところに掲示されているものであるが、あまり広大ではないものの起伏に富み、道の入り組んだ池上本門寺墓所群では、おそらく迷子になる方もそれなりにいらっしゃるのだろう。結構、あちこちに同様の案内板が見られる。わかりにくいが、ゼンリンの電子地図で示せば以下のとおり。
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Google Mapの航空写真なら、まだ多少はわかりやすいが、今度は縮尺が大きくなりすぎて全体が把握しにくくなる。まぁ、おおむねこのあたりにあるということでご勘弁。
力道山の墓地はご覧のとおり、近くまで来ればその存在感は圧倒的で、周囲の墓所とは明らかに一線を画している。碑あり、胸像あり、そして石碑の銘文あり。
これには次のようなことが書かれている。
力道山先生名は百田光浩 九州大村の産 幼にして角界を志し関脇に栄進せるも 一九五一年プロレス界に転身 爾来研鑽鍛練 又多くの門弟を養成 後進の道を拓き斯界の始祖となり隆盛を斎す 一九六二年WWA選手権を獲得名声世界に洽きも 昨年末不慮の災に遭い急逝 時三十九才 一周忌に際し門弟一同碑を献納 謝恩の意を捧げつつ不滅の偉業を讃う
一九六四年十二月十五日 建立
一部読解不能な部分があり、「?進の道を拓き斯界の始祖となり隆盛を斎す」とある「?」の文字が判別不能。浅学非才の身故、ご容赦いただきたい。一周忌の時に建立された石碑なので、まだ力道山が長崎県の大村出身であることが「事実」として書かれている。
2013年1月6日追記
コメント欄に頂戴したご指摘に従い、追記しました。どうもありがとうございます。
こちらは胸像、というかちょうどチャンピオンベルトの見える位置からなので、銅像とした方がよいか。来年で没後50年となる力道山なので、私は当然、歴史でしか彼の活躍を知らないわけだが、それでも後世に名を残されるほどの方であることは知っている。そんなことを書きながら、今回はここまで。
「後進の道を拓き」ですよ
投稿情報: tomotubby | 2013/01/06 00:30
「名声世界に洽(あまね)きも」です
投稿情報: tomotubby | 2013/01/06 01:11