地域歴史に興味を持ちながら、街歩きをされている諸姉諸兄には自明のことと思うが、電柱に貼り付けられているNTTや東京電力等の標板には、その地域の歴史を垣間見ることができる。今回、ご紹介するのはこれだ。
「田園支」とある。「支」は支線を意味し、「田園」がこの電柱に架線されている支線名を表す。ここは、東京都品川区小山七丁目。この「田園支」は、中原街道口から当地域に至るまで続いており、電話線が中原街道から分岐してここにやってきたことを伺わせる。
そして、この「田園」だが、もちろん田園都市に由来する。田園都市株式会社が最初に分譲した洗足田園都市は、まだ調布田園都市(多摩川台)が分譲される前は、唯一の田園都市であったので、単に田園都市と呼称されていた。実際、隣接する碑文谷耕地整理組合の施行図面を見ると、当地域は「田園都市」と記載されており、昭和に入ってからの民間地図においても田園都市経営地と記載されているものも多いので、当時は洗足あるいは田園都市で通用したと思われる。
このNTTの「田園支」は田園都市に由来するものであるが、それ以外に当地域において田園都市に因む名が残っていないことに気付く。洗足は駅名として、そして町名として健在だが、田園都市はない。かつては、古い家の表札に「田園都市」と住所を記載したものがあったようだが、現在は見つけることができない。いいところ、住居表示前の町名地番が記載されているものを数件見ることができるだけで、戦前からのものはない。そう思うと、たかが電柱に記載されているものではあるが、地域の歴史を唯一残すものとして貴重なものに見えてしまうのである。
電柱の標記
ともすれば見過ごしてしまう貴重な田園都市の名残で、感激しました、確か田園都市の表札もあったような気がしますが、何しろ数回に渡る住所変更と空襲でその痕跡を探すのは無理でしょう。自動化してから荏原電話局が課金局となりましたので、中原街道から引き込んだのでしょう。自動化の歴史は35区の中では比較的早期に始まったようです。交換機を導入した工学博士が南台に住んでおられ、ご子息様も電電公社の総裁となられたので、多分優先的に自動化されたのでしょう。当時青山地区の一部の公衆電話では、受話器を持ち上げると、交換手が’何番、何番’と答えて相手の局の名前と番号を告げ、チャリンとコインを入れた音で電話を繋いでくれたことを覚えています。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/27 20:20
木造院電車両マニア様、貴重な興味深いお話しをありがとうございます。
電柱にある標名板は、字名だったり、企業名だったり、寺社仏閣名だったりとそれこそ千差万別ですが、確実なことはその地域における象徴的なもの(そして細分化しても名で区分できるもの)が採用されていることです。駅名でもそうですが、最初のものは地域の主流名ですが、いくつも同一地域に存在し、名で区分する必要が出てくると様々な名前が採用されるようなものかと思います。
そういう観点から見ていくと、なかなかこういったものも興味深く見えてくるのですね。
投稿情報: XWIN II | 2010/02/28 11:01
XWIN II様
荏原電話局は奇跡邸に戦災を免れましたので,戦後比較的早く電話が開通しました。
電柱と言えば東雪谷付近では’’笹丸X号と書かれていますので、洗足池変電所から笹丸経由で送電されいるのでしょう。今後は出かけた時は電柱にも注意すると面白いッ情報が得られるかもしれません。意外と字が使用されているかもしれません。
投稿情報: 木造院電車両マニア | 2010/02/28 12:57