東武鉄道は、昨日(27日)プレスリリースを発し、東武伊勢崎線「業平橋」駅の名称を2012年春に「とうきょうスカイツリー」駅に改称すると発表した。再来年のオープンを控え、具体的な情宣活動に入ったと見るべきだろうか。ちなみに正式名称の「東京スカイツリー」でなく「とうきょうスカイツリー」とひらがな表記になっているのは、東武鉄道の考え方によるのだろうが、あえて固有名詞である「東京スカイツリー」を採用しないのはおかしいと指摘しておこう。
(東京スカイツリーを運営する会社は東武タワースカイツリー株式会社ということなので、同じ東武鉄道系に属しながらこのような表記の違いを行うことも含めて。)
さて、それはともかく業平橋駅といえば、伊勢物語で有名な在原業平に由来していると思われるだろうが、実際そのとおりである。が、しかし直接的な由来ではなく、その名のとおり在原業平に由来する業平橋からであるが、事情はそう単純ではない。それを確認するために、駅名の歴史を簡単に振り返ってみよう。
- 明治35年(1902年)4月1日 東武鉄道により、東京市への玄関口として吾妻橋駅開業。
- 明治37年(1904年)4月5日 東武亀戸線開業により総武鉄道両国橋駅(現 JR総武線両国駅)へ乗り入れ、吾妻橋駅廃止。
- 明治40年(1907年)9月1日 総武鉄道、鉄道国有法により国に買収される。
- 明治41年(1908年)3月1日 貨物運輸取扱駅として、吾妻橋駅再開。
- 明治43年(1910年)3月1日 吾妻橋駅を浅草駅と改称。
- 明治43年(1910年)3月27日 東武亀戸線経由の両国橋駅への乗り入れを廃止。
- 昭和6年(1931年)5月25日 東武伊勢崎線延伸により浅草雷門駅(現 東武浅草駅)開業。浅草駅は業平橋駅に改称。
ということで、業平橋駅になるまでに紆余曲折が多いことがわかるが、これは東京圏の私営鉄道が東京市内乗り入れを目指した歴史と同じく、東武鉄道も東京市、それも当時最も繁華であった浅草への乗り入れを目指した歴史の結果といえる。当初は、東京市に隣接する場所に吾妻橋駅(最寄りの業平橋でなく、隅田川に架かる吾妻橋と名付けたところに東武鉄道の思いが見える)を開業するが、そこから先(浅草)への乗り入れがなかなか果たせず、総武鉄道との協議によって両国橋駅への乗り入れを実現し、念願の東京市内(当時は東京市本所区)乗り入れを実現した。
だが、明治39年(1906年)公布の鉄道国有法によって、総武鉄道が国に買収されると鉄道院側から乗り入れの見直しがされ、わずか6年ほどで両国橋駅への乗り入れを断たれた。だが、この市内乗り入れという既得権を盾にして東武鉄道は東京市への乗り入れが認められ、ついに昭和6年(1931年)に隅田川を越え、浅草雷門駅まで延伸し開業。浅草の川向こうでしかなかった浅草とは名ばかりの駅は、同時に業平橋と改称され、今日に至るのである。
以上、業平橋と改称されるまでの歴史を簡単に振り返ってみたが、それから約80年。この駅名は定着してきたが、ついに再来年春に先にふれたような軟弱な名称に取って代わられることになる。で、業平橋の由来だが、もちろん、駅最寄りの業平橋に由来する。では、業平橋自体は何に由来するのかといえば、江戸後期に編纂された「新編武蔵風土記稿」によれば、
「寛文二年伊奈半十郎奉行トシテ掛渡セリ。旧業平天神ノ社辺ナルヲ以テ名トス」
と業平橋の説明にあるので、業平天神という在原業平を祭る神社に由来していることが確認できるが、旧とあるので既にこの頃にはなくなっていたと思われる。何にしても、業平橋が駅名の由来となったのは確かだろう。ちなみに改称は昭和6年(1931年)であるので、江戸期よりの業平橋ではなく、関東大震災後に新設された業平橋に由来している可能性も指摘できる。
てなわけで、駅名改称については疑義を挟みつつも、業平橋駅の由来を簡単に見る良い機会を与えられたと見れば、それはまたそれでいいのかと思いつつ、今回はここまで。
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