「目黒駅って目黒区にないんだってね。これってヘンじゃない?」という話をよく聞くが、善かれ悪しかれ地名原理主義とも言うべきものが蔓延していると強く感ずる。目黒区と目黒駅に関しては、目黒区という名称が起立したのは、1932年(昭和7年)に東京市にこの一帯が編入された折、目黒町と碑衾町が合併した際であり、一方の目黒駅(停車場)は1885年(明治18年)に日本鉄道株式会社が目白駅と同日開業した際である。つまり、この間に47年の歳月が流れており、目黒区よりも目黒駅の方がはるかに古いと言うわけだ。
だが、目黒区は1932年成立には違いないが、合併以前の目黒町、さらに町制施行前の目黒村、さらには市制町村制施行前の上目黒村、中目黒村、下目黒村、もっと以前には上中下とわかれていない目黒村まで遡ることが可能であり、目黒という地名は江戸期以前からの由緒あるものだという意見もあるだろう。まったくそのとおりである。とはいえ、目黒駅が目黒区にない、という話についてのみ言えば、これが本末転倒であることは明らかである。そして今日的には「目黒駅は品川区にある」となるが、1932年以前では大崎町、そして大崎村、さらに目黒駅成立時には市制町村制以前であり、上大崎村であった。この点のみから言えば、「東京府荏原郡上大崎村に目黒駅(停車場)が開設された」というのが適切となる。
しかし、駅名は必ずしも地名から採用されているわけではない。日本鉄道株式会社が赤羽~品川間を開通させたのが1885年(明治18年)3月1日で、この時、新設された駅は分岐点の赤羽、そして板橋、新宿、渋谷、官営鉄道との接続駅となる品川の5駅。これに遅れること二週間あまりの同年3月16日、目黒と目白の2駅が開業した。注目は、目黒と目白がセットで開業した点である。その後、赤羽~品川間は、1901年(明治34年)の大崎、恵比寿の開業まで駅の新設はなかったので、当初はこの7駅体制であったとなるのである。この7駅を列挙すると、
- 赤羽
- 板橋
- 目白
- 新宿
- 渋谷
- 目黒
- 品川
で、品川は既に官営鉄道によって開業していたので、最初の6駅が日本鉄道によって命名されたわけである。それでは、1885年(明治18年)開業時の所属郡村名はどうだったのか、確認してみよう。
- 赤羽(東京府北豊島郡赤羽村)
- 板橋(東京府北豊島郡瀧野川村)
- 目白(東京府北豊島郡高田村)
- 新宿(東京府南豊島郡角筈村)
- 渋谷(東京府南豊島郡中渋谷村)
- 目黒(東京府荏原郡上大崎村)
村名をそのまま採用したのは赤羽が唯一で、渋谷は準ずる扱い。板橋、新宿、目白、目黒は所属村名どころか小字レベルのものすら採用していない。板橋については、中山道の宿場町として著名な「板橋」から拝借しているが、駅そのものの所在地は瀧野川村に所属していた。ただし、下板橋村(宿)の境界線にほど近く、明治22年(1889年)の市制町村制施行時の町村合併において、鉄道から西側が瀧野川村から分離され板橋町に合併されたことで板橋町に所属。ここではじめて名実共に板橋となった。もし、ここで境界変更が行われなかったなら、その後の異動で板橋駅は北区に所属することとなり「板橋駅は板橋区にない」などとくだらない話の一つに追加されたことだろう(苦笑)。
新宿については、甲州街道の新宿(内藤新宿)に由来はするが、最寄りという以上の意味を有しない。目白と目黒についてはどちらも不動尊の最寄りとなる。貨物としての機能を期待された当時の駅としては、どちらも旅客扱いのみというのも不動尊参拝客目的だということで、地名と言うよりはランドマークを駅名に採用したとなるだろう。つまり、駅名は必ずしも地名を採用するわけではなくランドマーク的なもの、もっといえば営業的訴求力の高い名前が採用されると言うわけである。
もっとも目黒については、目黒不動尊の位置するところが中目黒村でもあり、地名から採ったと言えなくもない。だが、目黒と目白が同日に旅客専用駅として開業した事実から、同様のネーミングルーツを持つとした方が適当であるだろう。
こうしてみていくと、異質なものが赤羽だとなる。赤羽村に隣接する岩淵は岩槻街道筋の有力な宿場であり、駅の所在地である赤羽よりもはるかに著名であったにもかかわらず、岩淵が採用されずに赤羽となった。赤羽は品川までの分岐線を建設するにあたり、本線からみれば新たに設置された中間駅であったので、この位置から分岐することとなった有力な理由の一つが赤羽という駅名を採用する根拠であったと見る。そうでなければ、同日に開業した板橋、新宿、渋谷を採用したのと同様に、赤羽ではなく岩淵が採用されたことだろう。わざわざ赤羽を採用するだけの積極的な理由があった、というわけである。
以上、山手線のルーツとなる赤羽~品川間のうち、開通当初の駅と同月内に開業した駅の命名由来について眺めてみた。このことからわかるのは、駅の所属する村名(地名)から採用されるのは例外であって、ランドマーク的なものが採用される傾向が高いという事実である。これは営業戦略から考えれば自明のことであって、衆人に馴染みのある名前であればあるほど価値が高いからである。よって、駅名が当該地名でないという議論はナンセンスであって、むしろ駅名が地名化しているのが実体(実態)である。また、駅名の由来を開設当時よりもさらに古い解釈(江戸期以前)で語る例も少なくないが、その名前そのものの由来であればまだしも、駅名の由来として講釈をたれるのも同様にナンセンスである。一番重要なことは、なぜその名前が採用されたかであるからだ。
といったところで、今回はここまで。次回(以降)は、JR山手線の他の駅名について、を予定している。
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