池上電気鉄道の歴史を調べるにあたり、基本図書というべきものは「東京急行電鉄50年史」(以下、東急50年史)と戦前に刊行された「東京横浜電鉄沿革史」(以下、東横沿革史)の2図書であるが、この両書間で記述が異なるものが多いのに頭を悩ませる。また、巻末の年表と本文との間でも年月日や記事の内容が異なる(これはかの司馬遷の史記に置いても「六国年表」と本紀や世家等との異動が多いので困難な作業であるのはわかる)ため、どちらが正しいのかという判断(同定)も難しい作業である。これを確認するため、東急50年史巻末の年表と東横沿革史巻末の年表から池上電気鉄道にかかわる記事を抜き出し、年代順(第一期線 蒲田~池上間開通まで)に列挙したものを示そう。
記事(事項)は全文ではなく一部省略表記としたが、記事はすべて掲載している。個別に見ていくと明らかに誤りとなっているもの(例えば、大崎町~入新井村間軽便鉄道敷設特許申請は12月25日と東急50年史年表にはあるが、実際は12月28日など)もあるが、東急50年史と東横沿革史で同じできごと(事項)を記載したものについて色分けするとわかるように、異なる年月日のものが存在していることがわかる。さすがに創立総会や池上~蒲田間開通という重大記事について双方の異動はないが、山口文右衛門社長辞任と代表者に八木恒蔵就任の時期が異なっていたり、増資の時期についても1年ずれていたり(額も145万円と185万円と異なっているがこれには理由がある)と両年表間で異動があり、どちらかが正しく、また誤っているのは確かである。問題はどちらが正しいのかという点だが、これは年表だけでなく両書の本文記事を見ていくと、ある程度は同定できる。
まず、一年ものずれがある増資の件は、東横沿革史年表の1920年9月24日の方が正しい。これは、当初の資本金40万円では鉄道建設工事の資金としては足りず、株主総会で250万へと増資が可決されたものの鉄道省から減額するよう指導を受け、145万円として減額申請を行った。結果、185万円として認可されたことで増資を実行。それにより、ようやく第一期線蒲田~池上間の工事に着手できたという流れとなる。つまり、増資がなければ工事着手はできず、時系列として「増資→工事着手」であることから、東急50年史の1921年9月24日では矛盾を来たし、東横沿革史の1920年9月24日が正しいと判断できる。
以上のように、基本図書というべき2図書の矛盾を解消しながらの作業はなかなか困難な作業であるが、一歩ずつでも進んでいくしかないと思いつつ、今回はここまで。
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