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2010/06/10

コメント

両端に階段のある太鼓橋状の特徴のある橋であったのでよく記憶しております。南側の袂に友人がおりまいたので渡ったことがありますが下に平面の踏切がありますので,面倒な階段を上り下りするのが億劫であったと記憶しております。

木造院電車両マニア 様、貴重なお話しをありがとうございます。

>両端に階段のある太鼓橋状の特徴のある橋であったのでよく記憶しております。

あの場所は北側に下っている斜面なので、現在の橋の両側の階段は、南側よりも北側の方が段数が多くなっています。往時の階段も地形上そうだったのかな、と。

地形のことは、今の父の記憶力では無理ですが、往時の記憶が少しあるようなので、聞いてきました。
最初は、木の橋だったそうです。(昭和初期)
(階段部分は、石だったような気がする、とのこと)
で、この「旗の台一の橋」からの多摩川の花火はよく見える、ということで、夏のその時期、橋の上は結構なにぎわいを見せ。
だもので、強度に不安、ということで、割と早い時期に、木の橋から、石組みの橋になった。というようなことを、きょう話をしておりました。
なお、木の橋のとき、みんなが橋の上を渡っていくのに「ドンドン」という音が響いたので、「ドンドン橋」という通称がついたそうです。

大きな木のところまで、改めて歩いてみました。
あの道は、確かに私道ですが、すごく立派な階段ですよね。手すりもついていて。
我が家の前も、私道なのでわかるのですが。
こういう道の管理というのは、持ち分のある住民たちの努力で支えられるのですが、この階段の修理をしていくのは、なかなかに大変だろうなと。
近年のものと思われる手すりが階段にはついており。ゆっくりと杖をつきながら高齢者の方がおりられたので、思わず声をかけて、少しお話をしてしまいました。

りっこ様、コメントありがとうございます。

>最初は、木の橋だったそうです。(昭和初期)

なるほど。コストかけてないなぁといった印象ですが、このあたり、きちんとした区画整理(耕地整理)が行われていないので、最初はその程度で十分だったのかもしれませんね。

>なお、木の橋のとき、みんなが橋の上を渡っていくのに「ドンドン」という音が響いたので、「ドンドン橋」という通称がついたそうです。

これもなるほど。貴重なお話しをありがとうございます。こういう話が後世に残されていくような配慮があるといいのですが。当たり前~というものはなかなか残されないものなので難しいかもしれませんが。

こちらこそ、ありがとうございます。こうした「地域歴史」の場をXWIN II様が設けてくださったおかげで、私も私自身、実家近くの歴史を初めて知ることができ、感激を新たにしております。心から感謝申し上げます。

「木橋」についてですが、石川台駅から洗足池駅寄りに、桜で有名な笹丸橋、そして永久橋がありますよね。その永久橋(昔は八幡橋)の、昭和15年の写真を見ました。これも木橋でした。
永久橋は、木橋のまま、昭和20年代半ばまで使われ、ようやく昭和32年1月に、現在のコンクリート橋に造り替えられたそうです。
池上線をまたぐ大きな跨線橋、そんなに長い間木橋だったのかと、かえって驚いてしまいました。
名前も、木橋のときは、八幡(やわた)橋。コンクリート橋にしたら、永久(ながひさ)橋に改名。何も、長年慣れ親しんだ橋名まで変更することはないのにと、ちょっと不思議です。

りっこ様、コメントありがとうございます。

先日、笹丸橋や永久橋を見てきました。笹丸橋、ずいぶんと立派になったものでちょっとだけですが驚きました。永久橋、名前が変わったのは「八幡」を嫌ったからかな、と予想しますね。洗足池畔から立正大師像が消えた理由と通ずるものがあると考えます。

笹丸橋
笹丸橋も拡張工事が完成してから面目を一新しました。第二京浜国道からの迂回車両が増加したせいでしょうか。現在は桜の名所となって花見時には写真家が多数訪れますが、池上線の切り通しができてから植えられたものだそうです。池上線にしてはかなりの大工事だったのでしょう。

>洗足池畔から立正大師像が消えた理由と通ずるものがあると考えます。

ぜひ、お考えを聞かせてくださいっっ (>_<)
私がずっとずっと知りたいと思っていることなので。

木造院電車両マニア様

「笹丸橋付近の桜並木について」

昭和初期に井東寅蔵氏他、地元有志の人たちによって植えられたものだそうです。
以下、こんな文章が残っています。(井東氏記す・一部抜粋)

【笹丸橋西袂から石川台駅方向に向けて】
「21本は昭和8年1月13日 池上電鉄会社の承諾を得て植え付けたるものなり。計金45円也」

【上記の場所に続けて西へ】
「8本は昭和10年頃(中略)植え付けたるものなり。計金24円50銭也」

【笹丸橋東袂から洗足池駅方向に向けて】
「4本(中略)元地先住民久保田君の昭和8年2月23日池上電鉄会社の承認を受けて(中略)植え付けたるものなり」
(原文片仮名)

上記他、昭和27年に区役所から公共地の植樹希望の問い合わせがあり、東側に2本、西側に5本の植え付け希望を申し出、この希望に対して昭和29年、西側に2本が都の請負人の手で植えつけられたそうです。

ちなみに、八幡橋(永久橋)と、笹丸橋の架橋は昭和2年
八幡橋名は、付近の雪ヶ谷八幡神社にちなんで命名。

XWIN II様
笹丸橋の桜並木
情報有り難う御座います。昭和8年といっても植え付け料金は意外に安いと感じました。手間賃も安かったのでしょう。当時の公務員の給料と比較しても今日に比較して安いような気がしますが資料の手持ちがないので何ともいえません。累進税率の厳しい今日では個人の寄付は簡単ではないのでしょうか。


洗足池、石川台間の投稿を読みましたところ補足が必要かなと思いましたので投稿いたします①
私は井東寅蔵氏が桜並木と永久橋に関わったことを寅蔵氏から直接聞いていますので、下記は寅蔵氏の話しを思い出しながら記載致します
*まず桜並木について
池上線沿いの道は切通の傾斜がきつく、高台であるためため、南風と谷風が強く、地盤が崩れるおそれを考え、通行人の安全の為に植物の枝葉で風をしのぎ(防風林)、さらに根で道が崩るのを防ぐ(補強)、更に日光が強いので遮光(グリーンカーテン)、ことを思いついたそうです、初めは竹を候補に考えましたが、近隣住民の楽しみを考え、桜にしたそうです
、また投稿に植樹の値段が安いとありますが、寅蔵氏はかなり身銭を使ってましたので、いまとなっては、どこまで計上したのかわかりません


洗足池、石川台間の投稿を読みましたところ補足が必要かなと思いましたので投稿いたします②
*次に永久橋について
これは寅蔵氏が大田区と相談をしました、相談内容は石川台駅の踏切です、石川台駅の南側の住民は踏切を渡って上り電車(いまだに3両)に乗ることになります、更に南側は交通が不便なため混雑が予想され、将来、危険な状態になることを思いついたようです、そこで永久橋を渡ることにより踏切を渡らずに上り電車に乗れるようにし、2ルートめをつくり危険をさけることになったのこと
*こからは私の思い出です、永久橋から見る桜は南斜面が崖のため、植えてある道より下に枝が長く伸び、桜を上下から見れました、今は、初代の桜は櫨木になり東急が若木に植え替えをおこないました、三十年後が楽しみです、また橋の西側に富士山が見えるときがあります
*また、ここまで、すごい風景なのに洗足池の桜山、歌手の福山さんの曲になった田園調布の桜坂、上野の桜のように有名にならないか、40年前に考えたことがあります、答えは、〇名前がない〇ことと、桜見宴会ができない、ではないかとおもいます
これは私が個人的に考えた名前です(品種はソメイヨシノです)
・地名をとると「笹丸桜」
・形から「谷桜」、「東京渓谷桜」
・1番綺麗に見える場所から「橋桜」
なんて、つけて、1週間限定(桜の花の寿命)の
超レア観光スポットもいいかなとおもいます
海外の方々に最高の桜、富士山をお見せしたいとおもいます
・70年ごの植え替え担当者へのメッセージです、ソメイヨシノにこだわる、その世代の最高に適した、植林をお願い致します
〇寅蔵氏の口癖は「先の先の先まで考え実行すること」でした
・今回は桜と橋に限定しますが、寅蔵氏は不思議な方です、寅蔵氏の実績は数が大変おおいです
功績を評価され、皇居で昭和天皇陛下より寿六位の勲章は頂いております
・興味があれば投稿をお願い致します

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