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2009/12/31

コメント

海老沢や岸田の姓の友人が小中学校で一緒でした。皆さんは今でも区会議員などされいます。

1年間、ありがとうございました。
とても、興味深く、またワクワクするような内容で、更新されるのが楽しみでした。

「岸田」さんですが。環七と、中原街道の交差点に、今「オリンピック」というスーパーがあります。そこいらあたり一帯が、「岸田」家の地所でした。大きな松の木があり、そこに夕日がかかると、まるで「絵」ような風景だったことを子供心に覚えています。(上記の岸田さんとは違う方かもしれませんが、多分縁戚関係だったと思います)

来年もまた、よろしくお願い申し上げます。 m(_ _)m

りっこ様
この岸田氏は赤松小学校の卒業生で(小生は第二延山小学校)中学では偶然にも小生より一年下でした。近所の長原駅の裏に使用されなくなった中原街道の馬車が放置されていたことを覚えています。

木造院電車マニア様

ありがとうございます!
実は、私は、この環七と中原街道交差点から、ちょこっとだけ品川区寄りの実家で育ったものです。父(85歳)と、父の姉(88歳)、つまり私の伯母がおりまして、伯母が第二延山、父が赤松でした。父の方は、越境入学です。

木造院電車マニア様のおうちは、どのあたりなんだろうと、私、先日から思ってしまっているのです。私は清水台です。第二延山と、旗台小からの、いわば分校としてつくられた学校ですので、私の世代だったら、木造院電車マニア様は、どちらの学区域だったのかなぁと。昭和大学のお近くの方でしょうか?

りっこ様
私の学区は第二延山で昭和8年に入学しました。この年は教科書もさいたさいた桜がさいたに変わりややリベラルな雰囲気が残っていた時代でしたが、その年に日本は国際連盟を脱退し、ルーズベルトが大統領となり、ナチス党が政権を取り,ゾルゲが日本に上陸した節目の年でした。住まいは環七の近くの品川区と大田区の境の近所で荏原警察と東調布警察の管轄の境目ですのでよく問題が起きました。学校に入って驚いたのはクラスメートの約25%が旧荏原区は言うに及ばす目黒区と旧大森区の隣接する学区からの徒歩通学可能な越境入学者であり,中には東は大井町、西は自由が丘、北は祐天寺、南は調布嶺町から定期で電車通学しているものもいました。当時洗足には、自由が丘の海軍村と同様に内務省村といわれる地域がありまして、文部省に圧力を掛けて優秀な教員を同校に送り込んだので、城南地区の進学校となったためです。子供の立身出世を願う親の気持ちは今も昔も変わりません。

りっこ様
前記のコメントの補足として、父君が進学された赤松小学校も当時有名な進学校で、某市立大学の付属校で私と同年級で赤松の卒業生を知っていますが、皆さん優秀な人材で、その中で特に医学部に進学して北千束駅の近くに外科医院を開業し、母校の赤松小学校の校医をつとめられた方ががおられましたが残念ながら近年他界されたと聞いております。私が住んでいたところのヒントとして最近テレビで見かける黒柳徹子が住んでいた所の近くの荏原区側の所です。

XWIN ll様

あけましておめでとうございます m(_ _)m

このブログの研究のすばらしさ。いつも感じ入っておりまして、私が小学校同期会の幹
事をしている関係から、友人数名にも紹介いたし、皆で感服いたしております。今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

木造院電車両マニア様

あけましておめでとうございます m(_ _)m

私が何よりも驚くのは、その記憶力の確かさ、鮮明さです。我が父より若干お年がお若いかな?と思いつつも、10歳とは違いませんよね?父は、70代の後半より、認知症が出て、現在の記憶はほとんどなく、また過去の記憶も朧になってしまいました。赤松小学校の当時の校歌「洗足池は浅けれど~♪」なんていうのはよく覚えているのですが、当時、この地区がどんなありさまだったのか、80年以上在住しているのに、ほとんど思い出すことができず、まことに残念です。
どうかこれからも、この地区の「昭和時代」のお話、聞かせていただけたら幸いです。

XWIN ll様のブログにてやりとりさせていただき、すみません。が、こういう場を与えていただき、大変感謝しております。


りっこ様、コメントありがとうございます。

Blogのコメント欄ですが、貴重なお話しをいただけておりますので、まったく問題はありません。遠慮なく活用してください。一応、コメント承認制をとっておりますので、もしダメなら掲載を見合わせていただいているはずです(苦笑)。
そんなわけで、こちらも楽しませていただいておりますので、よろしくお願いいたします。

畑弥右衛門さんについて調べていてたどり着きました。このお写真はどこで手に入るのでしょうか。東急の社史とかでしょうか。

紗妃 様

記事本文中にお示ししたとおり、「東京横浜電鉄沿革史」に掲載されているものです。いわゆる社史ですね。ただし、戦前に出版されたものです。

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