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2014/02/01

コメント

玉電とよばれた路面電車で印象に残っているのは、坂の途中の中途半端な所にあった中目黒の終点、下高井戸で京王電鉄とポイントで連結されていたこと、田んぼのなかに寂しくぽっつり建っていた溝口駅の終点の駅舎や、ほぼ休止状態で二子玉川の引き込み線に放置されていた砂利用貨車などでしょうか。二子玉川遊園地に行くの子供の頃の楽しみの一つでした。

意外に玉電は電力供給業でも収益を上げていたようです。瀬田の辺りは玉電の勢力範囲でしたし。また電力業は後に強制的に国家?に取り上げられていますが(ちょっと言い方が強引ですが)その名残として大橋の変電所が1階は東電、2階がTKKと共存していて財産分岐点がハッキリせず困ったことを覚えています。

岸信介が主導する所謂新官僚の強引な国家総動員体制により、玉電のみならず小田急も収益源を失って五島慶太の軍門に下ったのですが、今日の安倍首相も一族であるのは何とも皮肉なことですね。

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