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2013/05/12

コメント

高田馬場については、赤穂義士のインパクトがかなり強かったのではないでしょうか。鉄道唱歌の泉岳寺の松ではありませんが、名は千代の末までもと言うことでしょうか。

訂正
名は千載の後までもが正しいのでここに訂正します。
申し訳ありませんでした。

コメントありがとうございます。

> 高田馬場については、赤穂義士のインパクトがかなり強かったのではないでしょうか。

仰せの通りかと。明治期においても庶民文化の一つとして知られていた(古典落語にもありました)とはいえ、既に馬場などない時期によくぞネーミングしたとは思います。

XWIN II 様
日本鉄道の社長は殿様で、部下の多くも士族であったことが関係しているのかも知れませんが、吉良の殿様は領民にとって名君であったそうですので、たかが歌舞伎、されど歌舞伎で、何百年の長きにわたり世論をリードすることは空恐ろしいことですね。

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