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2012/06/20

コメント

昔の白金猿町付近を起点として市街化された地域を避けて池田山の麓に沿って計画されていますが、市電の終点が猿町にあった関係でしょうか。等高線に沿って計画されていますがかなりの勾配は避けられないでしょう。

コメントありがとうございます。
市電(五反田線)については、清正公前から白金猿町までの分岐線が昭和2年(1927年)開業なので、この計画線が登場した頃は、五反田線の計画すらあったかどうかは…。なので、単に東京市内に入らないぎりぎりで止めたと見るべきかな、と。
そして、袖ヶ崎への急勾配は呑川~石川台付近に匹敵しますから、まぁ余程の土木工事を施工しない限り、当時の軽便鉄道クラスの単車が坂を登り切るのは難しいかと。市電が五反田駅前まで来るのは昭和8年(1933年)、現在の桜田通りができて勾配が小さくなってからですので。

私が思うのは、この計画(無謀で無意味)がなぜ出てきたのか、ということに尽きます。調査不足のため、ほとんど何もわかりませんが、推測であればあれこれあるものの、まだ自分レベルでも「それはないだろう」的なものでしかありません。

XWIN様
コメント有り難う御座います、東京市内への免許に対して市当局が圧力を掛けることは容易に像蔵で来ます。池上電鉄の草軽電鉄やダージリン鉄道の様なカーブの多い路線の免許申請は此の地区に限ったことではなく、以前に取り上げられた目黒線でも見られますので、素人の集まりであると言う謗りは免れませんね。

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