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2012/05/26

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日蓮上人が病気療養のため池上氏の館に逗留されていたときに散策のみぎりに足を洗われたとという伝承が刷り込まれていることと、子供の頃の遊び場としての洗足池の印象が強いために、駅名が洗足公園から北千束に変わった時に違和感を感じたことを憶えています。住まいから目と鼻の間の距離にあった区境にもかかわらず、行政や学区が異なるせいと、浅草にもある地名ですので北洗足の名前が今ひとつ馴染めませんでした。

仰せの通り、千束池とは東京レベルで見ればここでとりあげた千束池(洗足池)よりも、浅草吉原の千束池の方が東京市民的には「正当」であったかと思います。住居表示でも台東区千束は健在ですし。そういうことが千束池から洗足池への言い換え…いや書き換えにどの程度寄与したのかは何ともいえませんが。

飛び地である千束地区は大田区の現在の行政区域でも石川町雪谷町地域に属しており、馬込地区とは別個の扱いに成っているのを見てもこれが現実を反映してるのかもしれません。昔池上洗足町と言う町が、また目黒区にも洗足町がありましたが、洗足の名前が氾濫し過ぎたために昭和7年の大東京になったときにあえて昔の名前の千束を採用したのでしょう。

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