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2010/10/20

コメント

自由が丘デパートの向かい側の洋菓子店モンブランの並びのそば屋のレジの後ろに昔の自由が丘の住宅地図が貼ってあり、味が私の好みでしたので二回ほど入りましたが、レジに客が居て良く見ることが出来ませんでした。まだ貼ってあるかどうかわかりませんが、一度お立ち寄りになっては如何ですか。

コメントありがとうございます。

>自由が丘デパートの向かい側の洋菓子店モンブランの並びのそば屋のレジの後ろに昔の自由が丘の住宅地図が貼ってあり、
 ↑
自由が丘は、私の地域歴史研究のターゲットの一つとして数えています。よって、この手の基礎資料は既に手元に多くありまして、仰せのものについては現物を見ていないので何とも言い難いですが、おそらく町会が作成した昭和10年前後の複製版かと思います。
自由が丘については、以前にも当blogで簡単にふれたことがありますが、いずれ詳しく採り上げてみたい町の一つです。

自由が丘に関する記事を楽しみにしています。駅前の広場はもっと狭かった様に気お蒸しております。学校の帰りに途中下車してビリヤードに入って、フェルトを破って何食わぬ顔で逃げたことを思い出します。もう時効でしょうね。

ラジオを聞いていたら、懐かしい自由が丘の話をしていました。10月25日TBSラジオ「久米宏ラジオなんですけど」ゲストは寺尾聡さん。お二人ともご近所にお住みだったようでした。

モンブランの並びの「さらしん」かしらん?

田園調布フタバ近くの浄水場に小学校の写生会で行きました。その頃はまだ環八は工事もしてませんでした。

田舎住まい様
モンブランの並びの「さらしん」に間違いありません。

玉川水道の浄水場の近くにサンモールの修道会があり、環八は目蒲と東横の平面交差の踏切でした。

私は昭和30年代、自由ヶ丘銀座通りで二年、三丁目商店街で五年ばかり「N書房」という貸本屋をしていました。三丁目では「亀屋万年堂」を覚えています。モンブランのならびにあった「子供服専門店」の名前が出てきません。店主の名前は「ゴロちゃん」と呼んでいましたが、ご存知ありませんか?

今年二回しか更新していないBlogへのコメント、どうもありがとうございます。
さて、ご質問の内容についてですが、さすがにその時代の生まれではないのでよくわかりません、となります。ご容赦を。

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