« 慶應義塾大学新田球場における旅客争奪戦 中編(シリーズ「池上電気鉄道 VS 目黒蒲田電鉄」) | メイン | 慶大グラウンド前駅(二代目)跡地を見に行く »

2010/04/23

コメント

場所としては千鳥第二踏切の南側であろうと思われますが、今日その痕跡はまったくと言っていい程ありません。光明寺自体武蔵新田駅から至近距離にあり、千鳥町駅から平間街道を徒歩でかなりの距離があり、駅の命名に始めから無理があった様に思われます,最近千鳥町駅で下車して下丸子の会館に行きましたが環八が開通してから景観が全く変わってしまい見当がつきませんでした。

木造院電車両マニア 様、コメントありがとうございます。

ご貴見のとおり、光明寺駅はまったく痕跡が残っていません。というよりは、千鳥町駅に取り込まれてしまった、というべきかと思います。
一方、光明寺駅という命名については当時周辺に「何もなかった」ため、約400メートル弱の光明寺は、十分射程距離にあったとは思います。池上駅は本門寺と名乗ってはいないものの、駅から池上本門寺まで500メートル以上ありますので。
「~前」としなかったところに「光明寺」駅の弱さが見え隠れはしているような印象を持ちますが…。

コメントの確認

コメントのプレビュー

プレビュー中です。コメントはまだ投稿されていません。

処理中...
コメントを投稿できませんでした。エラー:
コメントを投稿しました。コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。 さらにコメントを投稿する

入力された文字と数字は画像と一致していません。再度入力してください。

最後に、下の画像の中に見える文字と数字を入力してください。これはプログラムを使ってコメントを自動的に投稿するのを防ぐために行われています。

画像を読み取れない場合は 別の画像を表示してください。

処理中...

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。

アカウント情報

(名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスは公開されません。)

2017年8 月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31