« 飛鳥山公園に鎮座する都電6080 | メイン | 続「東急の駅 今昔・昭和の面影」の東急池上線部分を検証する »

2010/03/02

コメント

XWIN II様
奥沢線
 新奥沢線ですが、あくまで国分寺まで延長することを前提として建設されたものと解釈します。前回に指摘したとおり環八の手前の法面の削り取られた部分がそれであることが正しいとしたら新奥沢駅から先はヘヤピン状のカーブとなりますが、削り取られた部分は少なくとも用地を手配済みで、それを目黒蒲田電鉄が合併でそれを入手し、立体化工事に役立ったことになりますね。
旗の台
 戦前に既に住宅が密集しており、畑ではありませんでした。無論通りに面した所は商店街に変貌しました。

木造院電車両マニア様、コメントありがとうございます。

池上電鉄奥沢線については、開業後わずか7年程度で消えてなくなった盲腸線ですが、その歴史は単純なものではなさそうです。無論、国分寺駅への「本気度」も含めてです。
最近、後藤専務の出身母体とも言える川崎財閥(銀行)について調べているのですが、昭和初期の川崎財閥の動きと池上電気鉄道の動きに何か関連性を見いだすことができるのではないかな、と。

XWIN II様
後藤圀彦氏に関しては仕事に没頭してかなり無理をされて亡くなられたようで、回想録など残されていないので当時の経緯を知るのは困難です。ご子息とも40年ぐらいお目にかかっていませんし、息災も分かりませんので今更ほじくることを躊躇しております。

XWIN II様
あらためて高柳淳之介の多数の著書の一覧を見ると殆ど詐欺の手引書のようなものを出版しています。ここまで居直れば死神も避けて通って80才の天寿を全うされています。当時としては異例の長寿です。池上電鉄も、その隠れ損失の巨大さに川崎財閥もその積極的な事業意欲を削がれたことは間違いないとおもいます。

コメントの確認

コメントのプレビュー

プレビュー中です。コメントはまだ投稿されていません。

処理中...
コメントを投稿できませんでした。エラー:
コメントを投稿しました。コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。 さらにコメントを投稿する

入力された文字と数字は画像と一致していません。再度入力してください。

最後に、下の画像の中に見える文字と数字を入力してください。これはプログラムを使ってコメントを自動的に投稿するのを防ぐために行われています。

画像を読み取れない場合は 別の画像を表示してください。

処理中...

コメントを投稿

コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。

アカウント情報

(名前とメールアドレスは必須です。メールアドレスは公開されません。)

2024年1 月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31