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2010/02/27

コメント

電柱の標記
ともすれば見過ごしてしまう貴重な田園都市の名残で、感激しました、確か田園都市の表札もあったような気がしますが、何しろ数回に渡る住所変更と空襲でその痕跡を探すのは無理でしょう。自動化してから荏原電話局が課金局となりましたので、中原街道から引き込んだのでしょう。自動化の歴史は35区の中では比較的早期に始まったようです。交換機を導入した工学博士が南台に住んでおられ、ご子息様も電電公社の総裁となられたので、多分優先的に自動化されたのでしょう。当時青山地区の一部の公衆電話では、受話器を持ち上げると、交換手が’何番、何番’と答えて相手の局の名前と番号を告げ、チャリンとコインを入れた音で電話を繋いでくれたことを覚えています。

木造院電車両マニア様、貴重な興味深いお話しをありがとうございます。

電柱にある標名板は、字名だったり、企業名だったり、寺社仏閣名だったりとそれこそ千差万別ですが、確実なことはその地域における象徴的なもの(そして細分化しても名で区分できるもの)が採用されていることです。駅名でもそうですが、最初のものは地域の主流名ですが、いくつも同一地域に存在し、名で区分する必要が出てくると様々な名前が採用されるようなものかと思います。
そういう観点から見ていくと、なかなかこういったものも興味深く見えてくるのですね。

XWIN II様
荏原電話局は奇跡邸に戦災を免れましたので,戦後比較的早く電話が開通しました。
電柱と言えば東雪谷付近では’’笹丸X号と書かれていますので、洗足池変電所から笹丸経由で送電されいるのでしょう。今後は出かけた時は電柱にも注意すると面白いッ情報が得られるかもしれません。意外と字が使用されているかもしれません。

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