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2009/11/23

コメント

毎度、登場してしまって申しわけありません。それだけ楽しみにしているので、ということで……m(_ _)m
実はこの「遺構」のことなんですが。私もずっと駅の跡地だと思ってきましたら、くだんの旗ヶ岡駅至近距離に住んでいた友人いわく、「これは旗ヶ岡駅の遺構じゃない」と明言されました。詳しい話もそのときに聞いたのですが、忘れてしまいました。すみません。またもう一度聞いておきます。ただ、ホームはこの位置ではなかったそうです。

りっこ様、コメントありがとうございます。毎度の登場ということですが、歓迎ですのでどうか気になさらず。
旗ヶ岡駅の遺構には違いないとは思うのですが、ホームの位置ではない。確かにそうだと写真等からは確認できるので、ご友人のおっしゃるとおりかと思います。ただ、あの場所は位置的に駅から中原街道までの道路の中心線に位置する(柵の位置から一両分ホームを五反田寄りに想定すると、ホームの中央位置と道路の中心線がほぼ一致する)ので、可能性の問題ですが、多くの人が利用するまでの初代旗ヶ岡駅ホームが「遺構」の場所で、その後、やや蒲田寄りに移動したとも考えられるかな、と。

ありがとうございます。そう言っていただくと、ほっとします。
本当にこのブログには感謝しておりますし、楽しみに楽しみにしておりますので。
ところで、申しわけありません。友人に電話でたった今確認いたしました。「遺構」であることは、XWIN様のおっしゃるとおりみたいで、私の早とちりだったようです。(私は元来おっちょこちょいなのです……)早飲み込みでコメントを書いてしまい、まことに失礼いたしました。

友人いわく。近所のお年寄りに小さいときに聞いた話では(その人たちたちは、皆さんもうおられない方がほとんどだそうです)
駅の左端に子育て観音があり(今もその場所にあります)、そこから7メートルぐらい右の位置に、旗ヶ岡駅の入り口(本屋というのでしょうか)があり、その正面に、中原街道への道があった。というものでした。
駅前は、結構広い広場がかなり長いこと残っており、友人が小さいときには、そこにお祭りの屋台が出たそうですよ。

国立公文書館のデジタルアーカイブで、旗ヶ岡を検索しますと、
旗ヶ岡停車場渉線位置変更の件 昭和3年03月06日
旗ヶ岡停車場中心位置変更の件 昭和6年07月18日 
旗ヶ岡停車場中心キロメートル程変更並びに設備変更の件 昭和10年02月28日
と三件の該当がありました。

インターネットでは件名までしかわかりませんけれど、
ご参考まで。

なお、私たちも、京王線下高井戸駅の位置変遷について、考察を行った経過があり、
デジタルアーカイブ検索については、きむらたかし@三田用水さんから、ご示唆いただきました。
考察の過程は、川俣晶さんのホームページ中の
http://mag.autumn.org/Content.modf?id=20090824111410
及び、
「サイト内のコンテンツリスト」などに記載されておりますので、ご参照いただければ幸いであります。

りっこ様、コメントありがとうございます。
戦後の空撮写真を見ると、駅前には結構木々が多く残っていることがわかります。また、戦前の駅前写真を見ても冬撮影のためか、枯れ木状態になってはいるものの、大きな木が植えられていることが確認できます。なので、駅前広場と言うべき存在はしっかりあったのかな、と。
手元にある昭和44年発行の住宅地図を見ますと、旗ヶ岡駅本屋等のあった場所は今のようにマンション(社宅?)が敷地ぎりぎりに建っておらず、結構ゆとりがあるように東急系企業の建物が載っています。昭和38年の空撮写真(近いうちに掲載予定)でもそのように見えることから余裕があったのだろうな、と。
本当に色々情報ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。

桜上水confidential様、コメントありがとうございます。
いきなりですが、よもやここで川俣氏のお名前を見るとは思いもよりませんでした。あまり詳しいことは言えませんが(本名ばれるので。苦笑)、Windows 2.x時代からの知り合いだったりします(友人等ではありませんが)。リンク先を見ましたが、プログラマらしい視点だな、と(笑)。

さて、それはともかく貴重な情報ありがとうございます。件名だけでも十分で、ほぼ確実に「中心位置変更の件」から何らかの移動があったことは類推できます。ただ、注意すべきは公文書だからといって、すべて本当のことが書かれているわけではないことです。よく公文書にこうあるんだから、こうあるべきみたいな論調がありますが、あくまで公文書上ではそうなっている程度の認識を持つ必要があるかな、と。やはりいくつかの資料を照らし合わせ、現場を確認し、当時の人たちのお話しを伺う、という。

下高井戸駅のお話しもなかなかに興味深いものでした。今後ともよろしくお願いいたします。

またまた登場、失礼いたします。何だか盛り上がってきて、とっても嬉しいです!
私の手元にあるのは、昭和43年の住宅地図ですが、それは多分ほとんど同じですよね。
そして、昭和35年の住宅地図もあります。これを見ると、我が幼馴染の家が、旗ヶ岡駅至近に3軒あったのだなあと……もっとちゃんと話を聞いておけばよかったです。お嫁に行った方は、もう消息がわからないので。
今後の展開、ワクワクしながらお待ちしています♪

桜上水様、読ませていただきました。
すばらしい考察だと思います。駅の構造一つとっても、いろんな角度からの見地があるものなんですね。

りっこ様、コメントありがとうございます。
なるほど、やはり地元に勝るものはなし、ですね。
今後の展開については、週末くらいまでお待ちください。
とはいえ、年末に近づいても来ましたので、仕事と家庭とのバランスを保ちながらの展開となりますが…。

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