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2009/11/22

コメント

おはようございます。長期連載、大歓迎です♪
惜しむらくは、この連載が、あと1年早かったらと。というのは実はこの旗ヶ岡駅、至近距離に、親子三代住んでいた友人の祖母、そして父親が、去年、あいついで亡くなってしまったのです。最後まで頭がシャッキリしていたので、当時のことも詳しく聞けただろうなぁと。

なお、地図の件ですが、私の手元には品川図書館からコピーしてきた、昭和10年と、昭和19年の地図があります。それを見ますと、昭和10年の地図は、旗ヶ岡駅真正面の道が、中原街道へストレートにつながっているのですが、昭和19年になると、駅の位置は変わらないのですが、道の方が中原街道にストレートにつながらず、1本右側の道に途中で合流する形へと変化しています。
駅でなくて、道が変化したのでしょうか?
本当に友人の祖母は、95歳を過ぎても、かくしゃくとしていたので、返す返すも残念です。お話を聞ければ、駅拡張のことも含め、当時の思い出が聞けたかもしれないのですが

りっこ様、コメントありがとうございます。こちらも連コメントでお返しいたします。
いわゆる古老(昔)の方のお話し。貴重なお話しですよね。いつでも聞けると思っていると永遠に聞けなくなってしまう。老若を問わず、ではありますが…。

さて、品川図書館にある地図、というと荏原区の地図のことでしょうか。うちにも昭和9年のものと昭和11年のもの、さらに昭和15年のものがあります。このうち、昭和15年のものはほとんど昭和19年のものと変わっていない(地図が統制の時代に入っている)と思われることから、こちらでも同じ様子が(おそらく)確認できています。このあたりの考察も近いうちに行うつもりでいますが、一つ謎を解くと同時にそれを超える謎が現れてくるという流れがこわいです(苦笑)。ま、仕事ではないので、のんびり探っていくつもりでいますので、よろしくお願いいたします。

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